政大機構典藏-National Chengchi University Institutional Repository(NCCUR):Item 140.119/136809
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    题名: 台灣「棒球文化」的建構與敘事模式:以台灣的「王貞治」形象(1965-2020)為主
    The Construction and Narrative Modes of Taiwanese “baseball culture”: With a focus on the image of “Oh Sadaharu” in Taiwan (1965-2020)
    作者: 葉静嘉
    Yeh, Jing-Jia
    贡献者: 山藤夏郎
    Santoh, Natsuo
    葉静嘉
    Yeh, Jing-Jia
    关键词: 台灣棒球
    運動文化
    台灣體育史
    王貞治
    國族敘事
    台湾野球
    スポーツ文化
    台湾スポーツ史
    王貞治
    ナショナルヒストリー
    日期: 2021
    上传时间: 2021-09-02 15:17:59 (UTC+8)
    摘要: 本研究試圖從知名的日本前棒球選手王貞治與台灣的歷史,以及分析這段歷史與台灣棒球的關係,來釐清台灣棒球文化中「王貞治」的位置,以及台灣棒球如何被編入國族敘事。
    王貞治作為日本最具代表性的棒球選手之一,在台灣也頗具知名度。至今,王貞治仍被台灣媒體稱為「旅日名將」,但台灣與王貞治的交流源自1960年代的事實,卻已經逐漸被台灣社會淡忘。「王貞治」為何會在台灣有名?他從未代表中華民國,那麼王貞治在台灣扮演什麼角色,以至於其形象能夠延續至今?
    身為中日混血、華僑二代的王貞治,也勢必與政治脫不了關係。王貞治首度及二度造訪台灣是在1965、1966年,當時他的形象被建構為「中國人的英雄」,目的在於使當時的台灣民眾對如此形象的王貞治產生認同感,建立中國人認同。
    到了1990年代的民主化時代,棒球已經成為台灣民眾凝聚認同國族的象徵,而王貞治的形象繼續被當作台灣政治人物用來表示自己關心棒球的工具。這個行為同時也延續了國民黨建構的國族敘事。不過本研究認為,當日本的王貞治形象透過日本大眾文化傳來台灣,台灣人因此多了可以思考自我歷史認識的機會,不再將王貞治單純視作中國人的英雄。
    本研究は、日本の元プロ野球選手である王貞治と台湾の歴史、ならびにその歴史と台湾野球との関連性に関する分析を通して、台湾野球文化の中に「王貞治」という人物が配置されてきた文脈を整理し、さらに台湾野球がナショナルヒストリーとしてどのように構築されてきたのかを、その変化のプロセスとともに明らかにすることを試みるものである。
    日本を代表する野球選手であった王貞治だが、台湾でも広く知られた存在であり、現在でも台湾メディアは王のことを「旅日名将」(日本に進出した名選手の意)と呼んでいる。だが、その一方で、王貞治と台湾の交流が早くも1960年代には既にはじまっていたという事実は、台湾社会からはほとんど忘れ去られた事実となっている。王貞治は中華民国国籍である(と言われる)が、中華民国代表選手・監督になったことはない。にもかかわらず、王貞治が台湾で広く知られた存在であるのはなぜなのか、そのイメージが数十年の長きにもわたって維持・継承されてきたのはなぜなのか。
    中国と日本のハーフ、華僑二世である王貞治と台湾との交流は、基本的には政治的理由からはじまっている。王が初めて台湾を訪れたのは1965年であるが、その年、或いはその翌年の1966年の段階で既に「中国人の英雄」というイメージの構築がなされていた。その目的は、当時の台湾民衆に、王に対する憧れとともに一体感を感じさせることで、彼らの中に中国人というアイデンティティを植えつけることにあった。
    王貞治のイメージは、1990年代の民主化以降、大衆人気の高い野球の庇護者という自己イメージを政治家が構築・宣言するための道具として使われるようになった。そしてこの手段もまた、国民党が構築したナショナルヒストリーを維持・継承したものであった。しかし、同時に、日本の王貞治イメージが日本の大衆文化とともに台湾に流入してきたことで、台湾の民衆が自らの歴史認識のあり方を再考するきっかけとなったのも事実であった。
    參考文獻: 《日本語文献》(著者名、五十音順)

    〈事典、人物録、年表など〉
    岸野雄三ほか編、1987『最新スポーツ大事典』東京:大修館書店.
    ベースボール・マガジン社編、2004『プロ野球70年史 1934→2004 歴史編』東京:ベースボール・マガジン社.
    読売新聞100年史編集委員会編、1976『読売新聞百年史. 資料・年表』東京:読売新聞社.

    〈著作、論文など〉
    Assmann, Aleida., 2016, Das neue Unbehagen an der Erinnerungskultur, Munich: Verlag C.H.BECK oHG (=アライダ・アスマン、2019『想起の文化 : 忘却から対話へ』、安川晴基訳、東京:岩波書店).
    Assman, Jan., 2001, “Das kulturelle Gedächtnis”, Wolfgang Schluchter eds., Kolloquien des Max Weber-Kollegs XV-XXIII, Erfurt: Universität Erfurt (=ヤン・アスマン、2016「文化的記憶」高橋慎也・山中奈緒美訳、『思想』1103:29-46).
    Boorstin, Daniel J., 1962, The Image: A Guide to Pseudo-events in America, NY: Harper (=D.J.ブーアスティン、[初版1964]1980『幻影(イメジ)の時代:マス・コミが製造する事実』星野郁美・後藤和彦訳、東京:東京創元社、第22版).
    Cromartie, Warren and Whiting, Robert, 1991, Slugging It Out in Japan: An American Major-Leaguer in the Tokyo Outfield, Kodansha, (=ウォーレン・クロマティ, ロバート・ホワイティング、1992『さらばサムライ野球』松井みどり訳、東京 : 講談社).
    Grupe, Ommo, 1987, Sport als Kultur, Zürich: EDITION INTERFROM (=オモー・グルーペ、1997『文化としてのスポーツ』永島惇正・岡出美則・市場俊之共訳、東京:ベースボール・マガジン社).
    Halbwachs, Maurice, 1925, Les cadres sociaux de la mémoire, Paris: F. Alcan (=モーリス・アルヴァックス、2018『記憶の社会的枠組み』鈴木智之訳、東京:青弓社).
    Morin, Edgar, 1972, Les Stars, Paris: Éditions du Seuil (=エドガール・モラン、1976『スター』渡辺淳・山崎正巳訳、東京:法政大学出版局).
    Nora, Pierre, 1984, “Entre Mémoire et Histoire: La problématique des lieux”, Pierre Nora eds, Les Lieux de mémoire, Paris: Gallimard (=ピエール・ノラ、2002「序論 記憶と歴史のはざまに」長井伸仁訳、ピエール・ノラ編『記憶の場:フランス国民意識の文化=社会史 第1巻 対立』東京:岩波書店、29-56).
    ――――, 1996, “From Lieux de mémoire to Realms of Memory”, Pierre Nora and Lawrence D. Kritzman eds., Arthur Goldhammer trans., Realms of Memory: The Construction of the French Past, Volume 1 - Conflicts and Divisions, Paris: Gallimard (=ピエール・ノラ、2002「『記憶の場』から『記憶の領域』へ――英語版序文」谷川稔訳、ピエール・ノラ編『記憶の場:フランス国民意識の文化=社会史 第1巻』東京:岩波書店、15-28).
    Whiting, Robert, 1977, Chrysanthemum and the Bat: Baseball Samurai Style. NY: Avon Books (=ロバート・ホワイティング、1991『菊とバット』松井みどり訳、東京:文藝春秋).
    阿野鉱二、1995『人間 王貞治』東京:TOTO出版.
    有山輝雄、1997『甲子園野球と日本人:メディアのつくったイベント』東京:吉川弘文館.
    飯田絵美、2009『王の道:"王貞治"を演じ切るということ』東京:メディアファクトリー.
    石田佐恵子、1998『有名性という文化装置』東京:勁草書房.
    王貞治、1969『でっかくいこうぜ』東京:報知新聞社.
    ―――、1975「特別手記 あの笑顔の中の威厳」『週刊サンケイ』1289:54-57.
    ―――、1976『飛べよ熱球』東京:講談社.
    ―――、1978『王貞治のホームラン人生』東京:朝日新聞社.
    ―――、1993『夢を追え――野球にかけた人生』東京:NHK出版.
    ―――、2000『王貞治――回想』東京:勁文社(初出:『回想』同社、1981).
    ―――、2011『野球にときめいて――王貞治、半生を語る』東京:中央公論新社.
    ―――、2015『もっと遠くへ――私の履歴書』東京:日本経済新聞出版.
    ―――監修、1989『定本ビッグワン王貞治』東京:ヤマビシ.
    何義麟、2020「台湾人アイデンティティ」若林正丈・家永真幸編『台湾研究入門』東京: 東京大学出版会、221-234.
    川村二郎、1978『王貞治のホームラン人生』東京:朝日新聞社.
    高津勝、2008『スポーツ社会学の可能性 : 歴史・身体・社会を探る』東京:創文計画.
    坂上康博、2001『にっぽん野球の系譜学』東京:青弓社.
    ――――、2015「日本の武道――ナショナリズムの軌跡」土佐昌樹編著『東アジアのスポーツ・ナショナリズム:国家戦略と国際協調のはざまで』京都:ミネルヴァ書房、75-110.
    笹島恒輔、1987『中国の体育・スポーツ史』、東京:ベースボール・マガジン社.
    清水諭、1998『甲子園野球のアルケオロジー:スポーツの「物語」・メディア・身体文化』東京:新評論.
    清水麗、2019『台湾外交の形成:日華断交と中華民国からの転換』名古屋:名古屋大学出版会.
    菅野敦志、2011『台湾の国家と文化――「脱日本化」・「中国化」・「本土化」』東京:勁草書房.
    鈴木明、1981「“蕃人”野球チーム:少年たちの栄光と悲哀」、梅田晴夫ほか『人生読本 野球』東京:河出書房新社、110-125.
    ―――、1985『ああ 台湾!――郭泰源たちのふるさと』東京:講談社.
    鈴木透、2018『スポーツ国家アメリカ――民主主義と巨大ビジネスのはざまで』東京:中央公論新社.
    鈴木敏夫、1984「近代学校制度の成立と身体教育」『北海道大学教育学部紀要』44:1-15.
    鈴木洋史、1999『百年目の帰郷』東京:小学館(=李淑芳訳、2005『王貞治:百年歸郷』台北:先覺出版).
    大豊泰昭、2004『大豊TAIHOH』東京:ソフトバンクパブリッシング.
    髙嶋航、2013「『東亜病夫』とスポーツ」石川禎浩・狹間直樹編『近代東アジアにおける翻訳概念の展開 : 京都大学人文科学研究所附属現代中国研究センター研究報告』 京都:京都大学人文科学研究所、309-342.
    ―――、2016「なぜbaseballは棒球と訳されたか:翻訳から見る近代中国スポーツ」『京都大学文学部研究紀要』 55:81-133.
    ―――、2018a「中国:「東亜病夫」からスポーツ大国へ」坂上康博ほか編著『スポーツの世界史』東京:一色出版、479-506.
    ―――、2018b「満洲における日中スポーツ交流(1906-1932):すれちがう「親善」」『京都大学文学部研究紀要』(57):63-98.
    ―――、2018c「満洲・台湾と甲子園」白川哲夫・谷川穣編『「甲子園」の眺め方 : 歴史としての高校野球』京都:小さ子社、140-174.
    谷川稔、2002「『記憶の場』の彼方に――日本語版序文にかえて」ピエール・ノラ編、谷川稔監訳『記憶の場:フランス国民意識の文化=社会史 第1巻』 東京:岩波書店、1-13.
    土佐昌樹編、2009『東アジアのスポーツ・ナショナリズム:国家戦略と国際協調のはざまで』京都:ミネルヴァ書房.
    野嶋剛、2020「野球と棒球 : 白球がつなぐ日台百年史(後編)」『交流 : 台湾情報誌』955:41-50.
    浜井祐三子編著、2017『想起と忘却のかたち:記憶のメディア文化研究』東京:三元社.
    松浪稔、2013「日本における近代的身体観の形成:軍隊・教育・メディア」『神戸市外国語大学外国学研究所研究年報』(50):73-84.
    森田浩之、2009『メディアスポーツ解体』東京:NHK出版.
    安川晴基、2008「「記憶」と「歴史」――集合的記憶論における一つのトポス」『藝文研究』 (94):299-282.
    ――――、2015「「神々」の物語――靖国神社遊就館を歩く」中村靖子編『虚構の形而上学: 「あること」と「ないこと」のあいだで』横浜市:春風社、219-284..
    山下清海編著、2014『改革開放後の中国僑郷――在日老華僑・新華僑の出身地の変容 』東京:明石書店.
    ――――、2016『新・中華街――世界各地で〈華人社会〉は変貌する』東京:講談社.
    湯川充雄、1932『台湾野球史』台北州:台湾日日新報台湾日日新報社.
    横田順彌、2006『鳴呼!! 明治の日本野球』東京:平凡社.
    李衣雲、2017『台湾における「日本」イメージの変化、1945-2003――「哈日(ハーリ)現象」の展開について』東京:三元社.
    若林正丈、2004「台湾ナショナリズムと『忘れ得ぬ他者』」『思想』957:108-125.
    ――――、2008『台湾の政治:中華民国台湾化の戦後史』東京:東京大学出版会.(=洪郁如ら訳、2016『戰後臺灣政治史:中華民國臺灣化的歷程』台北:國立台湾大學出版中心.)
    ――――、2014「台湾歴史から読み解く――序に換えて」若林正丈編『現代台湾政治を読み解く』東京:研文出版、3-22。

    〈学位論文〉
    林勝龍、2012『日本統治下台湾における武士道野球の受容と展開』東京:早稲田大学スポーツ科学スポーツ研究科博士論文.

    〈新聞〉
    中尾済「朗らかな野人 嘉義の試合ぶり――中等野球大会を顧みて(3)」『東京朝日新聞』1931.8.26朝刊、第3面.
    「王選手、台北着」『読売新聞』1965.12.5朝刊、第9面.
    「王選手に勲章 国府、教育部長から授与」『読売新聞』1965.12.7朝刊、第11面.
    「王“1本足”を披露」『読売新聞』1965.12.8朝刊、第11面.
    「蒋総統、王選手と歓談 台湾」『読売新聞』1965.12.11朝刊、第3面.
    「王さん 背番号1に大歓声 巨人OB 台湾で慈善試合」『スポニチ』2016.11.20(https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/11/20/kiji/K20161120013760440.html [2021.7.14閲覧]).
    「春秋」『日本経済新聞』2016.4.1(https://www.nikkei.com/article/DGXKZO99135750R00C16A4MM8000/ [2021.7.14閲覧]).

    〈ネット資料〉
    山本浩・白鬚隆幸「時代を熱狂させた「868」 王 貞治 - Voice of Legends インタビュー」『笹川スポーツ財団』2015.3(https://www.ssf.or.jp/ssf_eyes/history/interview/037.html.[2021.7.14閲覧]).
    「「王貞治ベースボールミュージアム」特別巡回展示in台湾 開催について」『福岡ソフトバンクホークス』2020.1.24(https://www.softbankhawks.co.jp/news/detail/00003067.html[2021.7.14閲覧]).

    〈映像資料〉
    「映画『KANO ~1931海の向こうの甲子園~』川崎宗則選手コメント映像」『シネマトゥデイ - YouTube』2015.1.22(https://www.youtube.com/watch?v=guw5-QXmZm0l[2021.7.14閲覧]).

    《中国語文献》(著者名、筆画数順)

    〈一次史的資料〉
    外交部档案
    「旅日華僑後援會致敬團王貞治等回國」(1965.11-1968.2)中央研究院近代史研究所檔案館蔵、館蔵号11-01-02-18-01-020.
    「日本報刊對我之報導(八)」(1977.3-1977.6)中央研究院近代史研究所檔案館蔵、館蔵号11-47-99-00-092、148-154.

    〈著作、論文など〉
    Guttmann, Allen, 2004, From Ritual to Record: The Nature of Modern Sports, Columbia University Press. (=阿倫・古特曼、2012『從儀式到紀錄:現代體育的本質』花勇民ほか訳、北京:北京体育大学出版社).
    Lewis, Coser A., 1992, “Introduction in Maurice Halbwachs”, Lewis A. Coser eds, trans, On collective memory, Chicago: University of Chicago Press. (=柯賽、1993「阿伯瓦克(M. Halbwachs)與集體記憶」邱澎生訳、『當代』91:20-39).
    王登美、1984 『ありがとうの歳月を生きて』東京:勁文社(=1985『感恩歳月:王貞治母親的故事』林慶旺訳、台北:中華日報).
    王御風・蔡博任、2014『圖解台灣棒球史』台北:好讀.
    行政院體育委員会、2000a『中華民國建國100年體育專輯:學校體育』台北:行政院體育委員会.
    ―――、2000b『中華民國建國100年體育專輯:體育政策』台北:行政院體育委員会.
    ―――、2000c『中華民國建國100年體育專輯:體育大事記』台北:行政院體育委員会.
    江杰龍、2012「「紅葉奇蹟」:臺東紅葉少年棒球隊的緣起(1965–1968)」『臺灣文獻季刊』63(1):335-378.
    何義麟(1-3章)・蔡錦堂(4-5章)、2019『典藏台灣史(六)台灣人的日本時代』台北:玉山社.
    李衣雲、2018「臺灣大眾文化中呈現的歷史認識:以漫畫為中心(1945-1990)」『思與言』56(3):7-73.
    李筱峰、2007「近百年來台灣政治運動中的國家認同」同著『台灣近現代史論集』台北:玉山社.
    李筱峰(第1章第1-4節)・薛化元(第1章第5節、第2-6章)、2019『典藏台灣史(七)戰後台灣史』台北:玉山社.
    林丁國、2006「從『嘉農』看日治時期台湾棒球運動的發展」『台湾史料研究』28:67-111.
    林伯修・林國棟、2012「媒體再現與臺灣國球的系譜」『體育學報』45(3):227-45.
    林玫君・林華韋編著、2005『典藏台湾棒球史:嘉農棒球1928-2005』 台北:行政院體育委員會.
    段嘉蓀、1992「誰是王牌――紀錄與棒球史的書寫」『中國論壇』384:42-44.
    范燕秋、2016「日治時期台湾實業教育的發展」『台湾學通訊』95:4-5.
    徐元民、1993「蔡元培的體育思想:以民元教育宗旨為中心」、『體育學報』16:37-49.
    晏山農、1992「新認同的配方――台湾棒運的『力脱死』及其顛覆」『中國論壇』384:332-36.
    翁嘉銘、1992「棒球的美麗與哀愁-民心變遷下的台湾棒球史」『中國論壇』384:27-31.
    高正源、1994『東昇的旭日――中華棒球發展史』台北市:民生報
    倪仲俊、2009「國技的重量:一九六○年代末期 少棒熱相關報紙新聞論述中的國族主義話語初探」『通識研究集刊』(15):199-216.
    盛竹如、1995『螢光幕前:盛竹如回憶錄』台北県:新新聞文化.
    國立嘉義農業專科學校校友會、1993『嘉農口述歷史』嘉義:國立嘉義農業專科學校校友會.
    張永昇、2019「論臺灣文字媒體對王貞治的形塑(1964-1980年)」『興大歷史學報』33:77-118.
    教育部教育年鑑編纂委員會、1976『第四次中華民國教育年鑑』台北市:正中.
    許佩賢、2013「日治時期台湾的實業補習學校」『師大台湾史學報』6:101-148.
    許義雄、1990「中國近代民族主義體育思想之特質」『體育學報』12:1-17.
    ―――、2017『現代體育學原理(上冊):基本概念』新北:揚智。
    陳顯明・梁友德・杜克和、1990『中國棒球運動史』武漢:武漢出版社.
    陳翠蓮、2008『台灣人的抵抗與認同』台北:遠流.
    陳耀宏・莊皓閔、2018「逆境與突破-1960-1980年代體育運動外交實態之研究」『臺南大學體育學報』13:1-18.
    曾文誠・盂峻瑋、2004『台灣棒球王』台北:我識.
    湯志傑、2009「體育與運動之間:從迥異於西方「國家/市民社會」二分傳統的發展軌跡談運動在台灣的現況」『思與言』47(1):1-126.
    黃俊傑、2006『臺灣意識與臺灣文化』台北:臺大出版中心
    葉柏強、2014『台灣棒球史第一人:林桂興與他的時代』花蓮:花蓮縣文化局.
    楊照、1992「抽離了民族主義之後」『中國論壇』384:37-40.
    楊瑞松、2016『病夫、黃禍與睡獅:「西方」視野的中國形象與近代中國國族論述想像』、増訂初版、台北:政大出版社.
    蔡焜霖・蔡秀菊、2019『我們只能歌唱:蔡焜霖前輩的生命故事』台北:玉山社.
    蕭阿勤、1997「集體記憶理論的檢討:解剖者、拯救者、與一種民主觀點」『思與言』35(1):247-296.
    ―――、2010『回歸現實:台湾1970年代的戰後世代與文化政治變遷』台北:中央研究院社會所、第2版.
    ―――、2012『重構台湾:當代民族主義的文化政治』台北:聯經.
    謝仕淵、2012『「國球」誕生前記:日治時期台湾棒球史』台南:國立台湾歴史博物館.
    ―――編著、2012『日治時期台湾棒球口述訪談』台南:國立台湾歴史博物館.
    ―――、2017『台湾棒球一百年』台北:玉山社.
    ―――、2020「呉三連與戰後初期的臺灣體育史」『臺灣史料研究』55:101-115.
    謝奇穎、2021「《感恩歲月》:王貞治傳記電影的臺灣後殖民分析」『大專體育學刊』23:1:1-13.
    魏香明、2008「台灣競技運動發展歷程之研究(1949-2008)」『大專體育學術專刊』97年度:7-16.
    蘇錦章、1996『嘉義棒球史話』台北:聯經.

    〈学位論文〉(著者名、筆画数順)
    林丁國、2009『觀念、組織與實踐:日治時期台灣體育運動之發展(1895-1937)』台北:國立政治大學歴史學研究所博士論文.
    林果顯、2001『「中華文化復興運動推行委員會」之研究(1966-1975)』台北:國立政治大學歷史學系碩士論文。
    林琪雯、1995『運動與政權維繫:解讀戰後台灣棒球發展史』台北:國立台湾大學社會學研究所碩士論文.
    張力可、2000『台灣棒球與認同:一個運動社會學的分析』新竹:國立清華大學社會學研究所碩士論文.
    梁淑玲、1993『社會發展、權力與運動文化的形構:台灣棒球的社會、歷史、文化分析(1895-1990) 』台北:國立政治大學社會學研究所碩士論文.
    陳嘉謀、2002『台灣棒球運動發展之研究(1945〜1968)』、台東:國立台東大學教育研究所碩士論文.
    曾瑞成、2000『我國學校體育政策之研究:1949-1997』台北:國立台湾師範大學體育學系博士論文.
    楊聰榮、1992『文化建構與國民認同:戰後台灣的中國化』新竹:國立清華大學社會人類學研究所碩士論文.
    溫勝智、2004『台灣地區棒球運動發展之研究(1897∼2001)』台中:東海大學 歷史學系碩士論文.
    蔡博任、2013『國家機器與體壇風潮戰後臺灣棒球與籃球興衰之研究(1945~1992)』台南:国立成功大學歷史學系博士論文.
    謝仕淵、2002『殖民主義與體育 日治前期(1895-1922)台灣公學校體操科之研究』桃園:國立中央大學歴史研究所碩士論文.
    謝濟全、2007『日治時期嘉義農林學校之發展』嘉義:國立嘉義大學史地學系碩士論文.
    劉偉君、2007『敘事與台灣棒球文化的記憶建構(1945-2006)』台北:中國文化大學史學研究所 碩士論文.

    〈新聞〉(出版年月日順、署名記事優先)
    司馬桑敦「風靡日本的棒球選手王貞治」『聯合報』1964.4.25、第2版.
    ――――「由四件事説對日国民外交」『聯合報』1965.12.25、第3版.
    趙煒「王貞治的成功之路」『自立晚報』1965.12.4、第4版.
    趙慕嵩「球王豪飲.逸興遄飛」『聯合報』1965.12.11、第3版.
    侯政「慈母眼中的王貞治――訪王富美女王一席談」『經濟日報』1968.2.10、第5版.
    孫鍵政「有子當如王貞治 老母最疼跨灶兒」『聯合報』1968.2.10、第3版.
    ―――「中日少年棒賽 意義深遠」『聯合報』1968.8.19、第6版.
    胡爾剛「一樹紅葉壓櫻花 萬丈光芒耀彩霞」『中國時報』1968.8.26、第3版.
    蘇玉珍「「魔手」發揮威力 胡武漢扼殺日攻勢」『中央日報』1968.8.26、第3版.
    王宗蓉「我少棒隊揚威海外」『中央日報』1969.8.23、第3版.
    周友蘭 「春雷初動」『中央日報』1969.8.26、第3版.
    余勳「王貞治決不去大陸 曾經迴避匪棒球隊訪問 如今養精蓄鋭要破紀錄」『中國時報』1977.8.30、第3版.
    李廣淮「王貞治「感恩的歳月?「回歸」大陸傳授棒球「秘笈」」『中國時報』1990.9.11、第73版.
    黃承富「日本職棒特報 克羅馬提 著書談日本經驗 特別推崇王貞治」『民生報』1991.2.14、第5版
    歐陽瑜「立委關切我奧運表現 朱鳳芝:請政府訂定棒球為國球」『民生報』1992.8 .7、第4版.
    李國彦「邀彭誠浩為他規畫體育政策 阿扁:棒球染黑金 政府的錯」『聯合報』1999.12.25、第31版.
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    林以君「阿扁 見證台湾棒運復興」『聯合報』2003.3.2、第8版.
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    陳敏鳳・李順德「建仔見總統 好冷」『聯合報』2005.11.15、第D7版.
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    「旅日華僑棒球明星 王貞治破日本紀錄 本季創五十三次本壘打 聲稱將與同胞女性結婚」『聯合報』1964.9.8、第2版.
    「同心棒」『聯合報』1965.4.27、第3版
    「旅日棒球名手 王貞治故事 中影籌拍片」『聯合報』1965.9.4、第7版.
    「棒球王王貞治今日返国」『聯合報』1965.12.4、第3版.
    「美人如玉棒如虹 風雲兒女總相逢 張美瑤.今迎王貞治 一束花 但願能解語」『聯合報』1965.12.4、第3版.
    「王貞治歸國第一日 冒細雨暢遊外雙溪」『聯合報』1965.12.6、第3版.
    「教部以獎章 頒贈棒球王」『聯合報』1965.12.7、第3版.
    「球王至總統府 簽名致敬」『聯合報』1965.12.7、第3版.
    「王貞治返國活動 日報紙顯著刊載」『中國時報』1965.12.7、第3版.
    「王貞治一本足打擊 兩萬觀眾爭睹絶技」『中國時報』1965.12.8、第4版.
    「舉火燭天之勢 拔山扛鼎之力 球王抱元守一 卓然英雄獨立」『聯合報』1965.12.8、第3版.
    「君子好球 王貞治初試身手 棒下球星飛丸走」『聯合報』1965.12.8、第3版.
    「巨棒一揮球飛天外 稻草人打法稱無敵」『中央日報』1965.12.8、第3版.
    「王貞治故事 將搬上銀幕 李翰祥導演」『中國時報』1965.12.9、第3版.
    「拍球王傳記片 王貞治表同意 一影業社開始籌備」『中央日報』1965.12.9、第7版.
    「棒球之王今賦歸 祖国之行留去思」『聯合報』1965.12.13、第3版.
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    「日巨人棒球隊 明天來台集訓」『聯合報』1968.2.8、第6版.
    「王貞治.正力亨 訪問省府」『經濟日報』1968.2.12、第5版.
    「廿屆學童棒賽 紅葉缺旅費 竟無法參加」『聯合報』1968.4.5、第6版.
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    「世界勁旅 首次「俯首」 日棒球隊一「葉」知秋」『聯合報』1968.8.26、第3版.
    「中華棒隊再度揚威 擊敗日少年明星隊」『中央日報』1968.8.28、第3版.
    「王貞治牧野茂棒球講習 強調防守勤練」『聯合報』1969.12.22、第6版.
    「社論 少棒運動的啓示」『中國時報』1971.6.20、第2版.
    「社論 笑靨與淚痕、歡呼與誓約」『中國時報』1971.9.11、第2版.
    「 黑白集 巨人精神」『聯合報』1971.9.11、第3版.
    「榮獲 蔣總統接見的追憶――棒球名將王貞治永遠難忘的一刻」『中央日報』1975.7.14、第5版.
    「棒球王堅貞不渝 匪圖拉攏遭封殺 謝國城深信王貞治不會訪大陸」『中央日報』1977.9.6、第5版.
    「匪搞統戰・陰謀拉攏!王貞治正氣凜然 絲毫不假以詞色 謝國城堅信他不會隨隊去大陸」『聯合報』1977.9.6、第3版.
    「王貞治大義凜然 昨峻拒共匪邀請」『聯合報』1978.11.3、第3版.
    「王貞治 將任我職棒聯盟顧問」『聯合報』1989.6.20、11版.
    「職棒季昨在歌聲中揭序幕」『聯合報』1990.3.18、16版.
    「聘旅日棒球名將王貞治先生為我國「無任所大使」」『中華民国外交部』2001.11.23(https://www.mofa.gov.tw/News_Content.aspx?n=96&s=71897 [2021.7.14閲覧]).
    「大榮鷹來台誰開球 藍綠陣營 開打」『聯合報』2003.9.25、第A4版.
    「扁釘三壘 宋守本壘 同觀大榮鷹戰」『聯合報』2003.11.14、第D7版.
    「總統:國球棒球教我們「全力拚戰、永不放棄」的精神」『總統府新聞』2018.12.28(https://www.president.gov.tw/NEWS/23997[2021.7.14閲覧]).

    映像資料
    迮芷江、1979『少年・棒球・冠軍』(VHS)、台北:光華影片資料供應社.
    何平、1989[1990]『感恩歳月』台北:豪客唱片代理.
    李志華・蔣龍祥「王貞治入選 2015台湾棒球名人堂20151108 公視晚間新聞」『公視新聞網 -
    YouTube』2015.11.8(https://youtu.be/MLIqC0cCabg[2021.7.14閲覧])
    季芸・李柏瑾『民視新聞網 Formosa TV News network - YouTube』2015.11.9
    (https://youtu.be/2s2XJfBE2Bc)
    「2016/11/20傳奇再度重現-OH桑王貞治 vs. 東方特快車郭泰源【五分半鐘完整呈現】」
    『vlsports - YouTube』2016.11.22(https://youtu.be/LNVB3UONxak[2021.7.14閲覧]).

    《英語文献》

    〈著作、論文など〉
    Beiner, Guy, 2017,”Troubles with Remembering; or, the Seven Sins of Memory Studies” , Dublin Review of Books, Ireland: Dublin Review of Books, January 11, 2017, (Retrieved July 14 2021, https://www.drb.ie/essays/troubles-with-remembering-or-the-seven-sins-of-memory-studies).
    Marshall, David P., 1997, Celebrity and Power: Fame in Contemporary Culture, Minn.: University of Minnesota Press.
    Morris, Andrew D., 2011, Colonial project, national game: a history of baseball in Taiwan, Calif.: University of California Press.
    ―――2015a, "Introduction: Living as Left Behind in Postcolonial Taiwan", Andrew D. Morris eds., Japanese Taiwan: Colonial rule and its contested legacy, London: Bloomsbury, 3–23.
    ――― 2015b, "Oh Sadaharu/Wang Zhenzhi and the Possibility of Chineseness in 1960s Taiwan", Andrew D. Morris eds., Japanese Taiwan: Colonial rule and its contested legacy, London: Bloomsbury, 155–170 (=林玉鵬・楊鎵民訳、2018「Oh Sadaharu/王貞治與1960年代台湾「中國性」的建構」『傳播、文化與政治』7:175-203).
    描述: 碩士
    國立政治大學
    日本語文學系
    107556003
    資料來源: http://thesis.lib.nccu.edu.tw/record/#G0107556003
    数据类型: thesis
    DOI: 10.6814/NCCU202101470
    显示于类别:[日本語文學系] 學位論文

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